SNSではご報告をしておりましたが、2021年3月11日、私達は今年も東北で手を合わせてきました。
このような時期ということもあり、ギリギリまで悩みましたが…。
一緒に活動を続けてきた「北上音楽祭」メンバーの気持ちは皆おなじ。
お会いする方も限定し、感染対策を万全行った上で行くことに決めました。
そんな経緯もあり、今回の慰霊参りツアーは3月10日〜12日の3日間。
弾丸スケジュールではありましたが、思った以上に沢山の方々と再会でき、多くのことを感じました。
うまく言葉にできるかわかりませんが、撮影した写真と共にご報告も兼ねてお伝えしていこうと思います。
東日本大震災から10年という言葉
3月10日の早朝、私は北上音楽祭”関東組”と一緒に千葉県茂原市を出発しました。

出発の時に千葉県茂原市で見た朝日は、とっても綺麗で幻想的で、でも現実味がなくて、何処か不安気で。
その時の自分の気持ちが反映されていた気がして、思わず写真に収めました。
現像してみたらピントが見事にズレていて💦
けれどそれすらも、その時の気持ちを表していると感じて残した写真。
3月11日が近づくにつれて至るところで耳にした「東日本大震災から10年」という言葉。
これまで私たちは「東日本大震災から○年の節目と皆言うけれど、おれ達にとって節目なんかない」という現地の方々の言葉を聞いてきました。
今年は東日本大震災から10年の年。
これまで以上に「東日本大震災から10年」と言う言葉が目に耳に入る。
その度に現地の方々の言葉を思い出して、心がチクッとする。
こんな時期ということもありますが、色々な迷いと感情を抱えながら福島へ向かいました。
3月10日・第一目的地 福島県での再会
・福島県双葉郡富岡市・とみおかプラスの皆様
まずはじめに私達が向かったのは福島県双葉郡富岡町。
2019年秋〜、私が「とみおかアンバサダー」を務めさせていただいている町です。
とみおかアンバサダーとして町の方々と一緒に作ったお酒 “萌” と今年登場した日本酒 “富岡魂” を購入する為、いつもお世話になっている「とみおかプラス」の事務局に立ち寄らせていただきました。
3月11日に富岡町で行われた”富あかり”の準備でお忙しい中にも関わらず、笑顔で迎えてくれた とみおかプラス の皆様!
少しの間ですがお話も出来て、とっても嬉しかったです。

“富あかり”で灯す灯籠のメッセージも是非!
ということで、アンバサダーのキッカケとなった「萌」の言葉に気持ちを全て込めさせていただきました。
「夜ノ森の桜が咲く頃にまた会いましょう!」と約束をして…。

沢山の方に富岡町へ来ていただけるように。
富岡町の「今」と「これから」を知ってもらえるように。
萌や富岡魂、そして富岡町のことを、これからも発信していきますね!
私が富岡町へ通う理由の一つは皆様とお会いできることです。
いつもありがとうございます。
・福島県双葉郡富岡町・お酒の酒米を作っている米農家さん
次に向かったのが「萌」と「富岡魂」の酒米を作っている米農家さんのお家へ。
事前にご連絡をしたらいらっしゃるということでしたので、立ち寄らせていただきました!
稲刈りのお手伝いをした昨年秋から、久しぶりの再会。

東日本大震災と原発事故の後、避難生活を送っていらっしゃった米農家の渡辺伸さん。
避難指示解除となった後も沢山の課題が山積みだったそうですが、一つ一つクリアされ、農業を再開されました。
私は「とみおかアンバサダー」としてお酒作りに携わったことからのご縁。
毎回温かく迎えてくださり、また、お米作りのこと・町のこと・これからの挑戦…いつも様々なお話を聞かせてくださいます。

同行していた北上音楽祭 代表の井戸さんとミュージシャン 壮ちゃんははじめましてでしたが、そんな事を感じさせないくらい、この日も沢山のお話を聞かせてくださいました。

伸さんのお家の裏に咲いていた見事な梅の花。
春が近づいてきていることを感じながら、お話する時間。
“萌”と”富岡魂”を飲んでいただいた方から伺った「美味しい!」という沢山の感想を伸さんに伝えると、酒米を作っている田んぼを指差しながらこんなお話をしてくださいました。
「お米は同じ品種でも、作る場所や土・水の状態で味が全然変わる。
理由の一つは、とっても良い条件が揃っている田んぼだということ。
そしてもう一つの理由は、こうやって富岡町へ訪ねてきてくれる皆さんが居るから。
町の人を元気にするのも、農作物を元気にするのも、一番は人の力なんだと思うよ。
だからまたいつでも富岡町に、ここに、遊びに来てね。」

私はこれからもずっと、東北に、富岡町に通い続けたいと思っています。
富岡町産の美味しいお米とお酒を一人でも多くの方に味わっていただけるように!
お米とお酒の美味しさや生産者さんのお気持ちを伝えていきたい。
今回も優しい笑顔で迎えてくださった伸さん、本当にありがとうございました。
またすぐに富岡町へ戻ってきます。
・福島県南相馬市・高見第一仮設住宅で出会ったご家族
そして南相馬市で再会したのは、2017年3月まで通っていた高見第一仮設住宅で出会った方々です。
お馴染みの南相馬道の駅で再会したのは、タクトくんとママさん!

私は東北一人旅をした2019年から2年ぶりの再会。
他の皆は3年ぶりの再会。
ここで金沢組のセイジくんナオトくんも緊急合流。
みんなで再会を喜びました。
高見第一仮設住宅の集会所でLIVEイベントを行っていた時は小学生低学年だったタクトくんももう中学生!
身長が伸びているのはもちろん、声変わりも。
私は見事に身長を追い抜かれていました。

集会所で鬼ごっこや隠れんぼをして遊んでいたのが懐かしい。
「お久しぶりです」というタクトくんの敬語に、ちょっと寂しさも感じつつ…
お兄さんになったんだなぁという成長の嬉しさで胸がいっぱい。
いつも笑顔のママさん、お忙しい中にも関わらず私達の時間に合わせてくださりありがとうございました!
その後は同じく南相馬で出会ったワタルくんに一目会いに行きました。
お仕事中だったので写真は撮れなかったけれど、すっかり社会人姿のワタルくんに会えて嬉しかったなぁ。
今度はゆっくり行くから、「一緒にお酒を飲もう!」という約束を叶えようね。
南相馬も会いたい方が沢山いらっしゃる場所。
また必ず戻ってきます!
東日本大震災から10年が経つ福島県
東日本大震災で地震と津波だけでなく、原発事故の被害も受けた福島県。
除染作業を終えて避難指示解除となった地域もありますが、
未だ帰還困難区域のままという場所も多く残っています。
ここからは、この日見てきた福島県の景色を写真と共にご紹介していきますね。
・福島県双葉郡富岡町「夜ノ森駅」周辺
2020年3月14日、9年ぶりに運転が再開された常磐線の”富岡駅〜浪江駅”間。
この間には、夜ノ森駅・大野駅・双葉駅という3つの駅があります。
昨年、私は とみおかアンバサダー として、富岡町の方々と一緒に代行バスのラスト運行のお見送り〜全線開通となった常磐線のお出迎えをさせていただきました。

その翌日、常磐線全線開通に合わせて避難指示解除となった場所を一人で巡り、夜ノ森駅前を歩いた時のことを今でも覚えている。
歩きながら考えていたのは“一枚のバリケードが隔てる向こう側とこちら側”
「たった一枚のバリケード」が意味すること…

「桜」と「つつじ」が美しいことで有名な夜ノ森駅。
駅の東口を出たロータリーにあるカーブミラーには、人や車ではなくバリケードが映り、

一歩町へ入ると、すぐに車道と歩道以外バリケードに囲まれた町の姿が目に飛び込んできます。

原発事故が与えた影響が続いていることを痛感する場所。

そして避難指示が解除されてから約一年が経ったこの日、私は植物たちの姿に目を奪われました。
バリケードの向こう側で花を咲かせる梅の花。

足元で可愛らしくこちらを向いていた つくし達。

バリケードが無いかのように、こちら側向こう側に蕾がついた枝を伸ばす桜の木。

「この先 帰還困難区域につき 通行止め」という看板の奥で美しく咲く梅の花。

人が立ち入ることはできなくても、植物達は 芽を出し・花を咲かせ・育っていく。
一見、時が止まったかのような、一枚のバリケードが隔てる向こう側。
けれど、
“バリケードの向こう側とこちら側”で 美しく咲き誇る花々やぐんぐん伸びる植物達の姿は、その年月を表し、ここで起きたことを人間達へ訴え続けているかのように感じました。
あの日から10年。
訪れる度に、姿を消していく建物。

沢山の方の思い出が詰まった学校も姿を消しつつあります。

富岡第二中学校、昨年秋に富岡町を訪れた時は解体工事の真っ最中でした。
今はもう建物がありません。

私が「とみおかアンバサダー」をやろうと思った理由。
それは、
困難な課題が多く残る中で、前へ前へ進もうとする町の方々の姿や活動を伝えたかったから。
それと共に、未だ帰れず苦しむ方々や戦っている方々が大勢いるということ。
原発事故が起こったことによりこの先も続いていく問題や、福島県のリアルな今とこれからを、一人でも多くの人に伝えて一緒に考えていきたいから。
2014年9月、開通直後の6号線を一人車で通ったあの日、見た光景に衝撃を受けながら心の中で決めた覚悟は今でも変わっていません。
これからも私に出来ることを続けていきます。
・福島県双葉郡 「大野駅」〜「双葉駅」そして南相馬へ
夜ノ森駅を出発後は、大熊町〜双葉町〜浪江町〜南相馬へ。
夜ノ森駅のお隣、大野駅。
駅の東側ロータリーから先は、歩行者・2輪車の立ち入りができません。
車でのみ、走行することができます。

ここも帰還困難区域が多く残る場所。
昨年、常磐線が開通した直後に訪れた時は、歩行者立ち入り禁止を知らずに歩いて行ってしまった方がパトカーに止められている姿を何件も目撃しました。
この日は私たちのみ。駅には誰も居ませんでした。

大熊町を抜け、双葉町へ向かう途中にも花を咲かせる梅の姿がありました。
通う度、至る所で警備中の方々を見かけます。

その度に、胸が痛むというか、モヤモヤするというか、言葉にならない思いが駆け巡ります。
その理由の一つは、現地を訪れる時に持ち歩いているガイガーカウンターの数値なのかもしれません。
下記は、上記の場所からはそう遠くはない、大野駅〜双葉駅へ向かう途中の車内の数値。
窓は閉め切り、空調は内気循環の車内。

除染がされ、線量が下がった場所もありますが、ガイガーカウンターの警告音が鳴り止まない場所も未だ多数あるのです。
東日本大震災・原発事故から10年が経つ福島、その現状を改めて知って欲しいと感じた瞬間。
双葉駅に到着すると、駅の横にあるコミュニティーセンタで線量計の貸し出しを行なっていました。

駅舎隣の建物の時計は14:46を指す。

駅前はとっても綺麗ですが、一本路地に入ると、崩れかかったままの建物の姿も未だ残る双葉駅周辺。
前回来た時には無かったカラフルな建物の姿もありました。


それから私たちは南相馬の道の駅へ向かうべく、国道6号線を北上。
開通直後から今日まで、この道を数え切れないくらい通ったことを思い返す。
以前は大量のフレコンバックが置かれていた場所。


あの大量のフレコンバックは何処へ運ばれたのだろう?
しっかり管理されているのだろうか?
様々な情報と多くの感情でぼうっとしかけている頭で、しばらく考えました。
1日目のまとめと、伝えたいこと
これが、私たちが見てきた2011年3月から10年が経つ福島県です。
立ち寄りたかった場所はもっと沢山あったのですが、今回は弾丸スケジュールだったので場所を限定して回ってきました。
「北上音楽祭」の皆様と出会えたことにより、私はこれまで福島県・宮城県・岩手県の様々な方や場所とご縁をいただくことができました。
どの地域にもまだまだ課題が残っており、苦しんでいる方々も多くいらっしゃいます。
それと共に、どの地域にも、前を向いて進む方々やこれからの子ども達の為に動いている方々も多数いらっしゃいます。
そんな中で、複数の地域へ通ってきたからこそ思うこと。
震災から年数が経つほど、浮き彫りになること。
“原発事故が与えた影響”
家を再建したくても、先祖代々引き継いできた土地へ帰りたくとも「帰れない」
そんな現実が残る場所がここにあるのです。

明るい話題も、向き合わなくてはならない苦しい現状も。
全てをひっくるめて知ってほしい。一人でも多くの方と一緒に考えたい。
そのために出来ることを、私はこれからも続けていきたいと思っています。
最後に。
北上音楽祭の名付け親である、石巻市立北上中学校の元校長先生にいただいた資料の一部をご紹介します。
<東日本大震災から “10年目” を迎えた被災地と被災者>
死者:合計 1万5899人 (岩手:4675人*宮城:9543人*福島:1614人)
関連死:3739人(岩手:469人*宮城:928人*福島2286人)
避難者:4万7737人(岩手:2714人「県内:1729人・県外:985人」*宮城:5334人「県内:1365人・県外:3969人」*福島:4万974人「県内:1万60人・県外:3万914人」)
仮設住宅:982戸
(プレハブ仮設住宅:21戸41人「岩手:9戸23人*宮城:0戸*福島:3戸5人」)
(みなし仮設住宅:970戸1750人「岩手:県内70戸145人・県外2戸4人*宮城:県内9戸13人・県外5戸8人*福島:県内555戸926人・県外329戸667人」)
岩手:プレハブ、みなし共、年度内に解消予定。
宮城:県外のみなしは、年度内に解消予定。
福島:県内、県外共に、解消のめど立たず。
あなたはこれを見て、知って、何を思いますか?

長文、読んでくださりありがとうございました。
今回の東北慰霊参りの写真は下記アルバムに追加していきます。
ここに載せきれないほどの写真がありますので、よろしければ下記よりご覧ください↓
「2021年3月 東北慰霊参り アルバム」
2日目、3日目のことも、写真現像と共にブログに綴っていきますね。
〜つづく〜
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