東北慰霊ツアーのブログ続編。
時間が経ってしまいましたが・・・
どんなに時間がかかっても残しておきたいので綴っていきます。
3月11日の朝、陸前高田の皆様にご挨拶をした後、私達は宮城県石巻市へ。
今回は石巻へ向かう途中、車の中から見た陸前高田の街並みをお伝えしたいと思います。
3月の東北。まだ雪と遭遇することが多いこの季節ですが、今年は例年よりも温かいのか、朝から雨が降っていました。
「岩手県陸前高田市」と聞いて思い浮かぶ方もいるであろう津波の爪痕が残る「オカモトセルフ」の看板。
未だ残されてはいるものの、場所も高さも移動されていました。
私が初めて陸前高田に来た時の映像はこちら↓
この時は津波が到達した15.1Mの高さに看板があり、リアルに津波の高さを感じて背筋がゾワっとしたのを今でも覚えています。
そして同じく映像に出てくる津波の爪痕が残る集合住宅。
こちらは震災遺構として残されるとのことで一棟のみ残っています。
東北に通い続けてきた4年半の間、「津波を思い起こすものを残したくない方の気持ち」と「後世に伝えていく為に残そうとする方の気持ち」どちらも伺ってきました。
どちらの決断をしても苦しい思いをされている方はいる訳で。
正解も不正解も、正しいも正しくないもない。
毎年3月11日が近付くとテレビや新聞で取り上げられる東日本大震災のこと。
3月11日を過ぎると、取り上げられることが少なくなる。
悲しくても
辛くても
私達が東北に通おうと
震災遺構の建物を残そうと無くそうと
被害に遭われた方が救われる訳ではないけれど
誰もが普段思ってしまう
「自分は大丈夫」
という意識を
「もしかしたら」
「自分の命は自分でしか救えない」
という防災の意識に
少しでも向けることができるのならば
この未曾有の大震災の学びを伝えることができるならば
震災遺構を
私は残していってほしいと思うのです。
生かされている私達が伝え続ける為にも。
陸前高田の海沿いはまだまだ嵩上げの最中。
以前はここに巨大なベルトコンベアがありました。
新しい施設ができるであろう工事現場。
今はまだ重機に囲まれている「奇跡の一本松」
東日本大震災の津波でなぎ倒された約7万本の松の中、唯一倒れずに残っていたと言われているこの「奇跡の一本松」もこの先、陸前高田で東日本大震災の学びを伝え続ける大切な役割を担い続けるのだろうなぁと思いながら眺めました。
その他陸前高田の街並みの写真は、
<2019年東日本大震災慰霊ツアー アルバム>
と
<2018年クリスマス東北ツアー アルバム>
でご覧頂けます。
東日本大震災から8年。
私が通い始めて4年半。
どうやって伝えよう。
映像なのか写真なのか言葉なのか。
いろいろなことを考えてぐるぐるぐる答えは出ないけれど、
見たことを聞いたことを感じたことを記していこう。
それがいつか何かの役にたつと信じて。
次は
〜2019年東北慰霊ツアー3 宮城県石巻市日和山公園で黙祷〜
を書きたいと思います。
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