コロナウィルスと災害ボランティア。

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この度の豪雨災害で被害に遭われました多くの方々に心からのお見舞いを申し上げると共に、これ以上被害が広がらないことを願っています。

また熊本にいる親族を心配してご連絡をくださった方々や、祖父母の安否が調べてもわからず困り果てTwitterで情報収集をした際、リツイートやお気持ちを寄せてくださった多くの方々に、この場をお借りして心からの御礼を申し上げます。
ありがとうございました。



昨年の秋、台風により故郷の長野で千曲川氾濫という災害が起きました。
私の実家は山の上にある為、水害は免れましたが、停電や倒木により父と数日間連絡が取れない日々が続きましたし、見慣れた地域が水に浸かった光景にショックを受けたのを今も覚えています。

そして今回の豪雨は、私の叔父と祖父母が住む熊本県人吉市と球磨村を襲いました。
見覚えのある場所が水に浸かっていたり、土砂災害の被害を受けている光景は、昨年の長野の災害と重なりました。

叔父と祖父母の安否確認は出来たものの、祖父母が住む場所は山村の集落。
災害で道も寸断され孤立状態。未だ電話も繋がりません。
明日、空路で移送が行われるそうですが、長年その土地に住んでいる祖父は村を離れたくないと言っているとの話を母から聞きました。

祖父の気持ちを考えると辛いですが、命が最優先。
生きていればまた集落へ帰れる日が来るはず。
どうか今は素直に避難をしてほしい。
説得したくても電話も繋がらず。何もできなくてもどかしい時間。

無事に避難が完了することを祈るばかりです。

昨年、私は長野の災害ボランティアに参加しました。
数日間参加し、何軒かのお家の泥出しやお掃除をお手伝いしました。

ちょうど決壊をした千曲川の土手近くのお家に行き、基礎から流されたお家や倒壊した建物を見て衝撃を受けたこと。同時に、全国各地から訪れていた沢山のボランティアの方々に人の力を感じたことを覚えています。

2019年11月

先月長野に帰った際、ボランティアへ行った地域の近くを通ったので、町の様子を車内からですが見てきました。

基礎ごと流されていたお家や災害廃棄物は無くなっていましたが、未だ壁や窓がないお家や崩れかかったままの建物も残っていました。

刈り取られていたリンゴの木々の後はとても痛々しかったです。

そしてかつて災害廃棄物や泥が積まれていた場所には草が生えていて…。
震災後の東北へ行った時も思ったこと。
時間が経つと、何処にでも芽が出て草が生える。
自然は強いなぁと、青々とした草を見ながらぼんやりと思いました。

それと共にボランティアへ行かせて頂いたお家の方が「来てくれる沢山のボランティアの方々の力にとても助けられているよ。ありがとう。」と言っていたことを思い返しました。

2020年6月

今、全国各地で災害が起こり、人手を必要としている場所が沢山ありますが・・。
コロナの影響もあり、多くの場所でボランティアの受け入れを行っていないという現状です。
(受け入れても検査を受けた証明が必要だったり、県内や近い場所からの受け入れのみ)

2020(令和2)年7月豪雨(第5報)
災害ボランティア活動は、個人個人の自由な意思に基づいた活動であることが原則です。 しかし、新型コロナウイルス感染が懸念されている現在の状況下では、災害ボランティア活動を進めることで、感染を広めてしまう恐れがあります。とくに今回の被災地域は、...

そんな状態にここ数日、更に苦しくなりました。

本当は現地に行きたい。
もちろん、情報収集をしっかりして現地と連携を取らなければいけないこともわかっている。
けれどこの先もコロナの影響でずっと受け入れ態勢が整わないのでは?と心配でたまらない。

もちろん受け入れ態勢が整う整わないにしても、この場所からでも出来ることをしたいし、それと共に自分自身のことも頑張らなくてはいけない(コロナで失った仕事も取り戻さないと)。

「一難去ってまた一難」
というよりも、去らずにまた一難も二難も…困難がやってくる。
心が折れそうになりますが_| ̄|○
踏ん張るしかないのですよね。
どうしたらいいかを皆で模索していかなければならないのですよね。

生きていればまた会えるし、なんとかなる。
そう信じて。

どうかこれ以上災害が起きないことを。
一人でも多くの方の命が救われることを。
皆々様がご無事でいらっしゃることを願っています。


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